2015年7月11日

雑 草 物 語


1.草花との逢引

 寒暖の波を描きながら温度差の大きな4月、5月であった。6月に入ってやっと自然の移ろいに慣れてきて体が目覚めてきた。この頃、梅雨の合間の散歩が楽しくなってきた。耳を掠める清清しい風の中の歩きは爽快そのものである。夜来の雨に洗われた都城沖水川河川敷の芝生の緑がまぶしい。堤防の土手も今を盛りとばかりに緑が色濃く、点在する草花の黄色やしろが鮮やかである。

 産毛を生やしたような白っぽい茎を易しく抱くように互い違いにくっ付いた葉、その茎の先、白い小さな花の真ん中に黄色の雄しべがあるのはヒメジョンだろうか。茎や葉が細筆でスッと描けるようでその先に穂が付いているのはイネ科のチガヤに違いない。穂は未だ棉状になっていないが、日が経つと柔らかな羽毛になって風に流されていくのだろう。

 棘を持ち、羽の様に深い裂け目のある葉で人に絡み付くように、あちらこちらに自生する野あざみの薄紫が、すさんだ心を和ませてくれる。

2.エリートと落ちこぼれ

1)エリート族

 歩いていると、行き交う車の騒音に交じってなにかの囁きが聞こえてくる。鳥の羽ばたきでもなく、河のせせらぎでもない。伸び切った草草を渡る風の音でもない。立ち止まって耳をそばたててみる。微かに聞こえてくる。「ねね、これっておかしいよね!」「うん、差別だよ」「向こうの芝生はエリートだね。」「栄養分は補給してもらえるし、伸びすぎたら刈ってもらえる。」「ホームセンターに行ってみろ、エリートたちは大切にされている。ガーデニングファンのために草花の育て方虎の巻がおいてある。」「曰く、アサガオの種は4~5時間水に浸けてから蒔くこと、インパチェンスは真夏の太陽など強い光に当てるといけない、鉢造りの菊は雨に打たれるとだめ」「シンピジュームは満開になって2~3週間経ったら花茎の元から斬らなければ株が弱る」「バラは、次の新しい強い芽を望むならば夏と冬の剪定を怠るといけない」「有機、無機、化学など肥料はどれが良いか、など痒い所に手が届くようなアドバイスがある」「腐葉土が適当か、追肥はどうしたら適当かなどと細々したマニュアルがある」花の種類も、遺伝子操作しているのだろうか、色違いのクローンが並んでいる。

 最近は「花の街づくり」とばかりにあちらこちらに花園が出現して、そこいらが明るくなった。歩道と車道の境には花が植えられ、公園や高速道路のパーキング辺りには芝生のなかにアジサイやツツジが配置され、季節の移ろいに合わせて紫、白、真紅など色とりどりの花を咲かせてくれる。

 中央分離帯などにも灌木が植えられ四季毎に色を変え、私たちの目を和ませてくれる。これらのエリートの共通点は、人を落ち着かせる観賞用である。人間の好みに合うように遺伝子をいじってきた作品を見ていると、失敗して潰れたが、ヒトラーの優生政策を思い出していやな気持になる。まるで、ファッションショーのステージを歩くモデルでも眺めているようで、どうも冷たい感情しか湧いてこない。

2)落ちこぼれの雑草たち


 どうやら人間は昔から、自分たちの居心地を悪くするような輩は「あっちへ行け」という。雑草は嫌われ者だ。人手、道具、手動、電動を使って取り除こうとする。畑作り、稲作、道づくり規模の小さな除草は人手で片付く。草むしりや鎌で事は済む。が、それで人の気が済むわけではない。草刈レーキ(熊手を大きくしたような道具)、電動の回転式草刈機などを思い付き、果てはバーナー(携帯用の火炎放射器)まで持ち出して焼き尽くそうとする。そうかと思えば、砂利を撒くのもよく用いられる。カチカチ君という名で売り出している土があり、これを何センチかの厚さに一様に撒いて水をかけておくと、固まって草が顔を出す隙間を無くしてしまうのもある。また、バーク(楠のチップ)や天然石マップを敷き詰めて雑草の息の根を止めようとする。窒息死させるのはかわいそうという方向きには、固まらない土がある。草を生やしたくないところに盛るだけで良い土がある。ホウ素量の多い土で種が発芽するのを抑え雑草が生えにくい土壌環境に整える便利な代物である。

 舗装やブロック、コンクリートの隙間から生え出る根性持ちに対しては、専用の防止剤がある。また、アミノ酸系の薬で邪魔になる雑草を狙い撃ちしてかけると根から入ってその草だけを根こそぎ枯らしてしまう薬もある。腕力でやっつけるのにハンマーナイフというのがあって、トラクターの先につけて走り回れるから果樹農園の下グサ刈、休耕地、空き地、グランド公園から河川敷の草刈など広いところで使えば効率が良い。

3.雑草たちのデモ

 「こちとらは、『雑草』と呼ばれる身の上、伸びたら根こそぎ引き抜かれる。」「おまけに、枯葉剤などという毒薬まであって・・・」「我々は生きる権利さえ奪われている」「人力、道具、動力、薬などあの手この手を使って雑草撲滅のために必死だ、」「若芽は天ぷらにしてもお浸しにしても美味しいし、昔から薬用としても人様の近くにいるというのに、どうして目の敵にされるのか」という雑草派の言い分も聞いてやらねば公平さを欠く。

▽ギシギシ・・・歯ぎしりではあるまいに、穂を持って振ると、ギシギシという音がするところから、このような呼び名となった。数少ない在来種だ。ヨーロッパ原産の、アレチギシギシという名の外来種もある。水を切って油炒めにすると美味い。丈40~100cmになる。根元に生える葉は、10~25cmにもなる。上部の葉は柄がなく幅も狭い。葉の縁は大きく波を打つ。茎の上部で分岐して多数の花序を出す。緑色の小さな花を輪生させる。花は花弁を持たない。若芽は食用になり、根は薬用になる。宮崎の山菜

▽オオバコ・・・人、車がよく通る道の端に生える。葉は柔らかく、五本の筋が通っていてこれは固い。柔らかさと固さを併せ持っているので踏まれ強い。子供のころ、葉を二つ折りにして引っ張りっこして遊んだものだ。種子にはゼリー状の物質があって、濡れると膨張してモノに付着する。靴、車のタイヤ、衣服などについて、遠くに散っていく。踏み付けが弱い場所では、高く伸びる草でないので他の草に負けてしまう。消炎、利尿、咳止めの生薬でもある。二つ折りにして引っ張りっこする喧嘩。日当たりが良く、土地も締まっているところに生えるので、葉は小さくて堅い。宮崎の山菜で在来種。

▽シロツメ草・・・・茎は地上を這い、葉は3枚の小さな葉からなる複葉であるが、時には4枚葉やそれ以上の場合もある。特に4枚葉は「四つ葉のクローバー」
として珍重される。花は葉の柄より少し長い柄の先につく。いろは、ほんのりピンクの白。雑草防止や土壌浸食防止などに利用される。また、明治時代以降は、家畜の飼料としても導入されたものが野生化して日本の草になった。蕾が開き始める頃の若い花を、水洗いした後、粉、水、卵でつないで揚げると美味しい。

▽ホトケノザ・・・しそ科の一二年草、高さ20cm。畑や路傍に生える。葉は心臓型で対生し上部は無柄、下部は有柄。春に紅紫色の花が咲く。花の一番奥に蜜を貯めるので、花弁を抜き取って総苞のところを舐めると甘い。]昔(昭和30年の頃まで)は子供のおやつ代わりであった。春の七草の一つ。

▽イヌビユ・・・姿は直立若しくは横に広く伸び、丈は30~60cm、茎は緑色または薄紫。葉は表濃い緑色、裏は淡紅紫、葉は互生。畑や道路に生えているごくありふれた草。だが、品種改良して売っている市中の野菜より美味いそうだ。特に白和えにしてみると格別だそうだ。宮崎の山菜

▽スミレ・・・春に道端で深い紫色の花を咲かせる野草。地下茎は太くて短い。葉は根際から出て、先が矢尻に似た丸っぽい葉が長めの柄の先につく。平地に山間部、都市部に関係なく顔を出す。野山に咲くようなイメージがあるが、コンクリートや石垣の割れ目から顔を出していることもある。その種子はアリが運んで拡散する。小学校の頃から、学校の花壇で見、歌い、勉強などでなじみ深く心に刻み込まれている。日本は、数えれば約60種ものスミレが生きる王国である。その半数近くが当県にあり、花も一年中咲いている。宮崎の山菜

▽セリ・・・湿地や畦道、休耕田、水辺など水分の多い土壌や場所に生育している湿地性植物である。高さは30cm程度で茎は泥の中や表面を横に這い葉を伸ばす。葉は2回羽状複葉。小葉は菱形。全体的にやわらかく、黄緑であるが、冬には、赤っぽく色が付く場合もある。花期は7~8月でやや高く茎をのばし、その先端に傘状の花序を付ける。個々の花は小さく、花弁も見えないほどである。水の中で育った伸びの良いセリを水芹、水中で長く伸びた根は根芹、炒めものにすると喜ばれる。その他、田芹、丘芹などとそれが育った環境別に呼び名がある。春先の若い茎や根をおひたしや七草粥とする。 

▽ドクダミ・・・・強い臭いは毒に見られたり、薬に見られたりした。尿が出にくくなって足がむくんできた人がこれを煎じて飲んだら治ったとか、色黒だった女性が色白の美人に変身したり、子供のおできの膿を吸い出したとか、その薬効はみんなの知るところである。農耕馬に与えれば十の薬効があることから「十薬」、葉の色から「カメレオンプラント」、葉の形から「ハートリーフ」などの別名が付いている。白い花びらのようなものは本当は葉が変化したもので花弁ではない。花の中央部に柱のように見えているのが小さな花が集まって咲いたものだ。これの天ぷらはこれまた美味い。宮崎の山菜

▽カタバミ・・・夜になると葉を閉じて眠るので葉が半分欠けたように見えるところから、漢字で「片喰」と書く。可憐なうすむらさきの小さな花が咲く。熟した細長いその実にちょっとでも触れると弾けて種が飛び散る。それには粘着液が付いていて衣服や靴で運ばれる。これが棲み付くところ石垣の隙間、駐車場のコンクリートの継ぎ目、花壇の煉瓦と煉瓦の僅かな間隙、などよくもこんな窮屈なところに、と思う。砂利を敷き詰めた庭に頭を持ち上げる。油断すると四方に蔓を伸ばし、節目から根を伸ばし次から次に広がっていく。地下茎でも増えていく。大本を掘り起こすと、大豆ぐらいの豆状の根が付いている。子供の頃、葉柄ごと引き抜いて葉を絡ませて引っ張り、切れて葉が先に落ちた方が負けという遊びをしたものだ。在来種

▽タカサゴユリ・・・宮崎自動車道の清武を過ぎるあたりから両方の法面に自生している。テッポウユリの仲間だが、これは種子が球根を作り何年かかかって花を咲かせるのに対し、タカサゴユリは種子から1年以内に花を咲かせる。百合の中では特異な性質を持っている。このことが雑草とされる所以である。百合の仲間は種子のまわりに翼と呼ばれるうすい膜があり、風に乗るようにできている。そのため、風に運ばれて遠くに散っていく。昔、高砂と言われていた台湾が故郷である。

▽野アザミ・・・茎の高さは50~100cm葉は羽根状に中裂し縁に棘がある。茎葉の基部は茎を抱く。花期は5~8月でアザミ属のなかでは、春咲きの特徴を持つが、まれに10月まで咲いているのも見られる。花(頭状花序)の直径は4~5cm、花の色は紫であるが、ときには白もある。花を刺激すると花粉が出てくる。アザミ属は分布が広範囲に及ぶが、極端に狭い地域固有種がある。北海道以外の日本の草原や河川敷に多く見られる。

 宮崎の山菜が多いのに気付いてもらえただろうか、雑草の多くは沢山の子供たちの遊び道具にもなってきた。また、薬草としても役立ってきたし、食しても美味しい。雑草はほんのこの間まで人々と暮らしを共にしてきたのだ。

4.雑草にだって魂がある

 ある植物の本を読んでいたら、「植物学の世界では、雑草は決して強い存在とはされていない。むしろ『弱い植物である。』とされている」と書いてあった。雑草は他の植物との競争に弱い。そのため、強い植物が生えることのできないような場所を選んで生える、というのだ。だが、私は「それでも雑草は強い」と思う。

 考えてみるまでもなく、「雑草」とは人が勝手につけた名称だ。動物の世界でも同じようなことはいくらもある。「バカ貝」「セアカゴケグモ」「アホウドリ」など当人たちにとって納得はしないだろう。真理追求を旨とする科学の世界では「雑草」の植物学上の分類はない。一般常識では「望まれないところに生える植物である」ということになっている。だから、先に触れたように私たちは、庭や家庭菜園、田や畑、道路や公園に雑草が芽吹くとあの手この手を使って自分たちの生活圏から「雑草」を追い払おうと躍起になる。

 草掻き、草刈、草抜き、熊手など状況に応じて草を取り除く道具の種類は豊富だ。それでも手におえない時のために草にとって恐怖の道具がある。細長い金属の棒で二つに分かれた爪のように矛先は尖っている。草の根もとに突き刺し、地面深く押し込む。そうしておいて、力いっぱい柄を傾けていく。金属棒の横には枕のようなふくらみが付けてあるからこれが支えとなっていて、梃子の原理が働く。やがて、草は根こそぎ掘り起こされる仕掛けとなっている。

 雑草は自然や人間のいじめには全く受け身のようだ。先に挙げたオオバコのように負ける勝負はしないとばかりに、他の草が生えない厳しい条件のところを選んで生える。「・・・日の映った石垣の間などに春待ち顔な雑草を見つけることは、私の楽しみに成ってきた。・・・」とは島崎藤村作『路傍の雑草』の一節である。こんな雑草を私は「弱い」とは言わない。

 雑草はどのように痛めつけられても絶滅することはない。彼らも人間が人智を尽くして自分たちを亡き者にしようとしていることを知っているから、あらゆる手段をもって生き延びようとしている。ヤブガラシ(藪枯らし)のように他の木々の日照権を奪って自分の命を長らえようとする雑草は例外である。普通は、先ず子孫を増やすという生物の本性から数えきれないほどの種を作り出す。しかもその種は傷つきにくい堅い殻で覆われているのが普通だ。2000年以上も昔の蓮の種が芽を出して、今、ピンクの見事な花を咲かせている。博士の名をとって大賀ハスと言われている。発芽する条件が整うまでじっと待つ忍耐力がある。

 次に、その種を風や水の流れに乗ったり、ヒト、鳥、獣などにくっついて、そして人間の作った船、列車、飛行機をヒッチハイクして遠く幅広く種をばらまく。三番目に、数多く広くばらまく結果、芽を吹くのに適した気温、水気、土などの条件が揃う環境にぶちあたる確率も高くなる。

 かくして「雑草」の生活圏は世界に広まっていく。身の回りのどこにでも見つけられるクローバーは、イタリアから輸入したガラス器の荷物の中に緩衝用として詰め込まれていたのが捨てられて日本全国に広まったと言われている。生態系を崩すのが気に入らないと言って嫌われる「外来種」はこの様にして日本に上陸した。

 自然の力を借りて、植物の世界でのグローバル化は人類のインターナショナル化よりはるか昔から始まっていた。人にかわいがられる草花のエリート族も、洗練された都会人として「だってさあ」「僕たちさあ」など東京弁を使う「東京の人」と同じように、元をたどれば田舎者の雑草である。
 荒れ地に咲く野アザミも手折られて花瓶に挿されたら立派に選ばれた花となる。何かがきっかけとなって人に「役に立つ」ことが解ってもらえれば雑草もエリートの仲間入りをする。                  

おわり