2019年10月29日 |
![]() カラス(その1) ![]() |
1.プロローグ スズメ、ツバメ、カラスは私たち日本人にとってなじみの深い鳥たちの三羽烏ではなかろうか。文献に何時頃から登場するか、詩歌や子供たちの童謡にどのくらい歌われているか、ことわざや故事にどのような形で現れているかなどが馴染みの深さを測るバロメーターと私は心得ている。 2.スズメかツバメか、はた又カラスか 日本で庶民生活の一番近くにいるのはスズメかツバメかそれともカラスだろう。スズメは東南アジアをはじめ、中國圏、ロシア、ヨーロッパ、アメリカなど世界中に分布している。日本ではじめて(と言っていい)文章に現れるのは古事記らしいが、どういうわけか万葉集には姿を見せない。次に登場するのは枕草子の「心ときめきするもの。雀の子飼い」と雀を愛でるその気持ちを「ときめき」と表現している。万葉集で姿を消した理由を、一年中人のそばに普通にいて、季節の移ろいを示すわけでもなく、歌に向かなかったのかもしれない、と三上修氏は著書「スズメ」(岩波書店)の中で述べている。万葉集には見向きもされなかったスズメも時代を下って俳句となると多く詠まれるようになる。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「われと来て遊べや親のない雀」とはあまりにも有名な句である。「孕み雀」は春、「稲雀」は秋、「寒雀」は冬という風にほぼオールシーズンの季語にさえなっているくらいだ。ただ、「稲雀」とあるように稲の収穫期になると、群をなしてやって来て稲穂に食らい付くから雀たちはお百姓さんの敵となり害鳥の印象が強い。 一方、ツバメも極地を除いて世界中に分布する。口を大きく開けて舞いながら、飛び込んでくる虫を(ある記録では)一羽で一日当たり4000匹もの虫を食するので益鳥と見做され、特に田園地区では厚遇されて、スズメより早くから短歌(万葉集など)や俳句に登場する。 燕来る 時になりぬと 雁がねは 国思いつつ 雲隠れ鳴く(大伴家持) げんげ田を 鋤けとつばめに せかされて(長谷川素逝) 大和路の 宮もわらやも つばめかな(蕪村) 乙鳥(つばくろ)や 赤い暖簾の 松坂屋(夏目漱石) げんげとはレンゲのことで、稲を刈った後レンゲの種を蒔いて春になるとそのまま鋤き込んで稲作の肥料にする。これは、今ではあまり見られなくなった風景ではある。乙鳥とはつばくろ、つばめのこと。漱石は、東京上野広小路の百貨店が呉服屋だった頃の「松坂屋」の渋い赤茶色(柿色)の暖簾を詠んだ。 今回は、庶民になじみ深いもう一つの鳥カラスについて雑学辞典を調べてみよう。万葉集でカラスを詠んだのは「暁と夜烏鳴けどこの岡の木末(こぬれ)の上はいまだ静けし」など四首だけでマイナーである。スズメ同様季節感がなく、何時も我々のそばにいてくれるのでそれだけでは季語とはなれず、季節感を表すほかの言葉と併せて季語となり、俳句にも登場する。 カラスは一般的には「烏」と表記するが、俳句では「鴉」の語を用いる。「鴉の巣」は春、「鴉の子」は夏、「寒烏」は冬、「初鴉」は新年という具合に、雀と同じく一年中季語となっている。「たそがれのなにか落としぬ鴉の巣」「食べ飽きてとんとん歩く鴉の子」「寒烏己が影の上におりたちぬ」「夜をはなれゆく麦の芽と初鴉」といった具合である。カラスは童謡にもよく歌われ親しまれている。「七つの子」「夕焼け小焼け」烏啼きて木に高くの「冬景色」、ギンギン ギラギラ夕日が沈むで始まる「夕日」などは幼い頃に口ずさんだものだ。また、烏に関しては次のような諺もある。 烏に反哺の孝あり=烏は養われた恩返しに大きくなったら親の面倒を見る 烏の濡れ羽色=髪の毛が黒くて艶やかな様子 烏場の文字=…そのままの状態では読めないこと。判別できないこと 烏の頭が白くなる=ありえないことのたとえ などと、多くの諺があって庶民の日常生活に密接に入り込んでいた。こんなことからスズメ、ツバメ、よりもカラスに興味を持つ。 3.カラスの姿 身近でポピュラーな鳥なのにカラスの研究はあまり進んでいない。子供にカラスの絵を描かせると、黒塗りで嘴と脚を黄色にすることが多いという。普通、カラスを見るのは飛んでいるか高いところに留まっている時などで、見上げて逆光線の影になった暗い状態で眺めるから「黒い」イメージが刷り込まれているのだろう。また、たまたま地上のカラスの姿を見るのはゴミを漁っているケースが多いので色まで観賞する目では見ていない。しかし、近寄ってよく見ると黒い羽根も青紫、緑、藍色の艶と光沢があって実に美しい。 (1)国境なしにどこにでもいる「烏」 今回のテーマは「権兵衛が種まきゃカラスがほじくる=」のカラスである。その進化の様子は明らかではないが、カラス科は鳥の中でも最も多様化、ということは環境変化への順応に成功したグループの一つだそうだ。総計113種と23の属を擁し、開けた林を中 心に砂漠、ツンドラを含めて世界のあらゆる地域に生息すると言われる。カラス科の起源はオーストラリア地域にあったと考えられ、3000~2000万年前にオーストラリア・パプアプレートがアジア大陸に接近した際にアジア全域、ヨーロッパ、更にはアメリカ大陸へと広がって行ったらしい。北米にワタリガラスが進出したのは凡そ200万年前で、人類が進出した1万4000年前よりもずっと以前と考えられている。シリア、トロイ、メソポタミア、ポーランド、カナダ西部では、1万500年~4000年前頃の古代遺跡から、人骨に混じってハシボソカラスとワタリガラスの骨が出土している。世界には約40種が生息しているそうだが、その分布状況は次のようだ。 ワタリガラス(ニシコクマルガラス)=ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ ミヤマガラス=ユーラシア大陸中緯度、日本には冬鳥として飛来 ミナミワタリガラス=オーストラリア ウオガラス=北米東部海岸地域 ヒメコバシガラス=北米西海岸沿い シロエリガラス=メキシコ北部、アメリカ南西部 アメリカガラス=アメリカ全土 日本にはイエガラス、ニシコクマルガラス、アメリカガラス、ウオガラス、スキンガラスなど5種類のカラスがいるが、東京都心で見かけるのはハシブトガラスでハシボソガラスはあまり見かけない。河川敷や公園など見渡しのいいところではハシボソガラスをよく見かける。他方、山など森林が多く見通しが悪いところではハシボソガラスが棲んでいる。地方都市では両方を見かける。因みに宮崎には住む次のようなカラスが棲んでいる。 コクマルガラス=県内では都城地区の開けた農耕地。キャーキャーと鳴く ミヤマガラス=都城、国富、西都などの開けた農耕地。数十羽から数百羽が鈴なりに止まっているのは不気味。鳴き声はグワーグワーカカカッ。 ハシボソガラス=県内至る所に生息し、住宅地や村落、畑地などで地上を歩きながら採食する。繁殖期でないときは群れで生活し、朝早く分散し、夕方返ってくる。ガーアガーアと鳴く ハシブトガラス=県内至る所に生息するがハシボソガラスよりやや森林を好む。非繁殖期は群れで生活し、朝早く分散し夕方帰ってくる。カアーカアーの鳴き声 世界に住む種の数や日本に住むとされるカラスと宮崎県内で見られるカラスと食い違いがあるのは細かい研究が行き届いていない証かもしれない。しかし、カラスは世界を股にかけた大帝国を築き上げているといっても過言ではあるまい。 (2)カラスと神話 ①カラスが黒いわけ 古代ローマの詩人オウィディウスが言うには、カラスが真っ黒なのは、かつて予言と光明の神アポロンに仕える神聖な鳥として純白であったワタリカラスは、ご主人様の恋人コロニスの浮気の現場を目撃した。職務に忠実だったカラスは直ちにその有様をアポロンに報告した。烈火のごとく怒ったアポロンは弓矢を手に取るとコロニスの胸を射抜いた。が、同時に恋人の命を助けられなかったことを悔やんだ。怒りの矛先はカラスに向かい「言わぬが花の真実を口にしたお喋りめ」と思慮に欠けた罰としてカラスを白い鳥の仲間から追放したという。 ②各国の神話 カラスは視力が高く知能もあり利口だということから、太陽の遣いや神の僕という神話や言い伝えが世界の各地にある。神の斥侯とか走り使い、密偵、偵察の役割を持っているという描かれ方が多い。 イ.日本 昔から、カラスは霊魂を運ぶ鳥とされ「カラスが鳴くとヒトが死ぬ」「カラスが騒いだり異様な声で鳴くと近所に死んだ人がある」などと信じられ、忌み嫌われていた。その一方で神武天皇東征の際は三本足の八咫烏(ヤタガラス)が松明を掲げて導いてくれた。山岳信仰を起源に持つ修験道では「カラスは神の遣い」とされている。日本サッカー協会のシンボルマークともなっている。 ロ.ギリシア神話 太陽神アポロに仕えていた。が、アポロの怒りを買い、美しい羽色を奪われ、声を潰され、天界から追放された。 ハ.ケルト神話 ケルト神話に登場する女神(戦いの神)モリガン、ヴァハ、バズヴ(ネヴァン)は戦場にワタリガラスの姿になって現れる。もしくは肩にカラスが留まった姿で描写されたりバズヴがカラスの化身であると伝承される。神といっても戦場に殺戮と死をもたらすものとして描かれている。 ニ.北欧神話 北欧神話では、主神であり戦争と死を司るオーディンの斥侯として二羽のワタリガラス「フギン(=思考)とムニン(=記憶)」が登場する。このワタリガラスは世界中を飛び回りオーディンに様々な情報を伝えているとされる。 ホ.中国 日本を含む中国文明圏とその周辺に伝わる「三足烏」は中国の「日烏」が起源である。 中国では昔から、太陽にはカラス、月にはうさぎまたは蛙が棲むとされてそれぞれの象徴となった。足が三本あるのは、中国では奇数は陽・偶数は陰とされるので、太陽の象徴であるカラスが二本足では表象にずれがあるから三本になった。カラスの外形については、黄土の土煙を通して見た太陽の黒点がそのように見えたからだという説がある。清朝に於いては、太祖がカラスに命を助けられた逸話があって神聖な動物として尊重された。 ヘ.イギリス イギリスでは、アーサー王が魔法をかけられてワタリガラスに姿を変えられたという話。このことから、ワタリガラスを傷つけることはアーサー王(さらには英国王室)に対する反逆とも言われ、不吉を招くとされている。また、ロンドン塔においては、ロンドンの大火(1666年)に際して大量に繁殖したワタリガラスが時の権力者によって保護されたとされ、ワタリガラスとロンドン塔は今に至るまで密接な関係にある。 ト.エジプト 古代エジプトでは太陽の鳥とされた。 チ.中東 旧約聖書によると、世界を襲った大洪水の後に炯眼を信頼されて偵察の使命を受けて放たれたのはカラスであった。 リ.北米先住民 先住民に伝わる話は数々ある。カラスと創世期に係る言い伝えの代表的話を挙げれば「ワタリガラスが森を作り、ヒトをはじめとした生き物が棲み付いたが、ある時寒波が襲い、生き物が死に絶えそうにになった。一計を案じたワタリガラスは、ワシに太陽まで飛んで行ってそのかけらを持ち帰ってほしいと頼んだ。ワシは承諾し、身を焦がしながらも火を持ち帰り大地の様々なところに火を灯した。それが、生きとし生けるものの魂となった」。この伝承の影響からかハイダ族はカラス族とワシ族に分かれたという。そのバリエーションとして、人々が暗闇の中で何も持たずに暮らしているのは不憫に思ったワタリガラスが「二枚貝の暗闇の中から誘い出すために、神が隠した太陽を神の娘の子供としてカラス自身が娘に受胎して神の孫として神に頼んで太陽を開放する・天上界へ変装して忍び込み星と月と日を盗み出し、人々に開放する」という話に「人々に暮らしや家を与え作り方などを教える」という話が付加される形で創世の神話になっている。 4.人とカラスの競り合い かつて、カラスの数が少ない間はその害についてヒトは無関心で、ただ崇める場合もあった。神や神の遣い、守護者、道案内、ゴミ処理動物と見做されて歓迎されていた。しかし、数が増えて狩猟生活に不都合となり、人の死骸に群がる様を目前にして恐怖心を抱いて、日常生活の上でも人間の競争相手になるので、厄介な存在としてヒトは迫害や駆除の行動に出るようにもなる。人がそれまで足を踏み入れなかった原野に進出し、森が人里となるに及ぶとカラスの文化は変わる。カラスは、用心深くなる。 人里に暮らすようになったカラスは、食性、採食行動、巣の防衛、塒への入り方、雛の数、営巣場所と巣材、鳴き声の種類、生息環境の選択などを変える。人のそばで生きていくための必要となる行動の調整ができることに加え、長生きで脳が大きく社会的な生活を営むカラスは、仲間を観察したり、仲間から学んだりする。 ゴミあさりをし、小動物の死骸に集まるなどのデビル印象が原因で、人から追われる立場になることが多いが、カラスは相手との関係を計算しながら自分を変えていく柔軟性があるようだ。例えば銃猟や動物を迫害することが禁止されている米国西部の都市部でのアメリカガラスやワタリガラスは、巣を守るために激しい防衛行動をとるが、銃が使える農村部では人を攻撃する個体は撃たれてしまうのでカラスは射程距離外に逃げ出す。 つづく [参考文献] ・カラスの遊び行動「カラスの自然史」(樋口広芳・黒沢令子編著、北海道大学出版会) ・世界のカラス 「カラスの文化史」(カンタス・サビッジ著、瀧下哉代訳) ・「カラスの教科書」(松原一著、講談社文庫)。 |